若干、私事になって恐縮ですが、職場で担当替えがありました。これまではIT政策全体の中で特命事項を担当するような仕事(情報政策課企画官)だったのですが、今度は、通称「メディア・コンテンツ課」ということで、映画、アニメ、出版、印刷、広告などコンテンツ関係産業の担当(文化情報関連産業課長)となりました。仕事でご縁のある皆様、引き続き、よろしくお願い申し上げます。
このブログでも、今後、コンテンツにひっかけたテーマを多めに取り上げていくことになると思います。早速、今回は、アニメを切り口に書いてみようと思います。お許しくださいませ。
* * *
さて、「ジャパン・クール」といえば、アニメはその筆頭格の一つのような気がしますが、では、アニメ産業の売上高ってどれくらいでしょうか?放送業全体の収入が約3.7兆円。音楽CDとネット販売の合計が約4500億円。映画の興行が約2000億円なんですが、アニメは約2500億円です(映画、放送との重複計上あり)。昨年度は、テレビの深夜枠でのアニメ放送が急落している関係で、対前年比マイナス成長でした。
そんな状況の中で、極めて最近ですが、「もののけ姫」前後以降の宮崎駿さんの著作、対談等を集めた「折り返し点」という本が出版されました。大変興味深く読みましたので、これを題材に、エントリにしてみようと思います。
この本の中で、宮崎さんが日本のアニメをかなり厳しく表現している部分があります。「日本のアニメーション文化について」という読売新聞に寄せられたインタビュー記事なんですが、興味深かったので、そのまま引用してみます。
日本のアニメはマンガを一番大きな源とするわけですが、その表現方法の最大の特徴は、”情念”が中心だということです。情念で表現するために、空間と時間が自由にねじ曲げられ、つまり、リアリズムがない。アニメは漫画に影響されながら変化し、パターン化し、かなり特殊なタコツボのような世界になってしまった。だから「映画」を見るつもりの人がアニメを観てもわけがわからない。そんな作品が日本のアニメーションの未来を開くとはとても思えません。
(インタビュアー:つまり、「アニメ」とは、作り手とファンとの間の無数の”約束事”の上に成立している世界と言うことですか?)
その通りなのですが、それではつまんないなあと思います。そんな変わった味付けの作品を好む人が、欧米に少し現れたというだけのことで、「オタクという言葉が世界で認知された」とか喜んで良いんですかね。
結構、ショックな表現ですが、いちいち思い当たる部分の多い台詞でした。最近のフランスでの日本ブームや、アニメを超えたジャパン・クールのブームには、もう少しこの次元を超えたものがあるような気がしますが、確かに、週間漫画誌で育った我々の世代(ちなみに、僕は中学生時代、「週間チャンピオン」を買う係でした)の中には、マンガを読むためのフォーマットが刷り込まれている部分があるという実感があります(念のため、この引用のオリジナルは、1997年のものです)。
インタビュアーは、このやりとりを受けて、次に、「『もののけ姫』はそういう状況を突破しようとしたのでしょうか?」という質問をしています。彼の答えは次のとおりです。
表現の上での時間や空間の作り方をもっと普遍性のあるものにしていこうと。田舎のおじいさんがはじめて観ても、それなりに分かる表現を、ということです。
偶然なんですが、宮崎駿さんがテレビに出演している番組が昨日やっておりまして、それを観てたら、次のような主旨のことを仰っていました。もののけ姫のこの質問に通じる部分があるような気がするので、引用してみます。
今、アニメを作っている世代が抜けた後の日本のアニメの将来が心配だ。アニメを作れる若い世代が入ってこない。今、業界に入ってくる若いアニメーターは、マンガやアニメといったリアリティの欠如したネットの世界しか知らない。しかし、アニメ作りにこそ、自然への畏れ、様々な人間関係など、リアリティが必要だ。ネットとマンガしか知らない世代には、自分が望むようなアニメは作れない。
『折り返し点』の他の文章にも随所に出てきますが、宮崎さんには、「自然への描写」への拘り、写真以上にリアリティのある「自然」を描くことへの執着が伺われます。アニメでも大切なのはリアリティ。アニメーションというのは一つの表現の手段に過ぎない。一言で言えば、アニメーションを通じて、マンガではなく「映画」を作りたい、ということなんだと思いますが、「風の谷のナウシカ」以来、それまでのアニメと違った意味で凄いなと思っていた部分が、端的に言い表されているような気がしました。
こうした宮崎流のリアリズムに対して、インタビュアーは、次に宮崎さんに対して、「では、今のアニメがやや特殊な世界に迷い込んでる理由は何か」と問います。彼は、次のように応えています。
今の日本の(大衆)文化が、マンガを出発点にしてるからではないでしょうか。マンガをもとにして映画や芝居が作られたりする。もちろん、マンガの方も映画の影響を受けているんですが、マンガという形式の咀嚼力はものすごいもので、いつしか日本の文化の大きな共通分母になってしまっている。それが日本文化の危うさだなと思います。
日本人を結ぶ共通体験が、戦争でも、全共闘でも、モーレツ社員でもなく、「マンガ体験」になってしまっている、という世界ですね。続けて彼はこう評しています。
日本人自身が気につかないほど、マンガという表現形式は広く深く文化に浸透していると思います。もちろん、日本のマンガが切り開いた表現の可能性はとても大きい。ですからその遺産を全て捨ててしまうのもバカなことです。かといって、マンガの世界がそのまま自分たちの教師だったり、自分たちの出発点だったりするのはどうか。それは、日本人が現実認識をするときのリアリズムの欠如に繋がっていると思うんです。人間同士が葛藤しなきゃいけない、むき出しでぶつかり合わなければいけない場所においても、どこかリアリズムに欠けている。僕はそれが、日本人の好きな部分でもあるんで複雑なんですが。
マンガの持つ強い咀嚼力は、表現の一つの形式として無駄に終わらせる必要はない。でも、人間同士が葛藤するリアリズムがそれによって失われてしまうのであれば、それだけは避けなければいけない。それは、日本人的なムラ社会の良さとは、また別の問題である。そんな風に読めました。
長い引用で恐縮ですが、彼のマンガ論は、どうしても次の部分まで引用する必要があるように思います。
今の若者たちは、これまでと違って見通しが立たない時代に育っているわけですが、その中から、今の表現の脆弱さを知り、「アニメ」でなく「映画」を作りたいんだと思う人間がきっと出てきます。今までにない魅力的なキャラクターを造形し、より普遍的で、より深い人間の表現に挑むという方向性は、絶対に捨てちゃいけない。ただし、これは、日本のアニメーションが産業として世界に羽ばたくなんてこととは、まったく無関係なことなんだと思います。
* * *
経済産業政策を生業とするものとして、なかなか、手厳しい指摘だなと思いました。2点、思ったことがあります。
一点目は、アニメが産業としてどうかということと、アニメーションを通じて何を追求するべきか、ということは、全く関係のない話である、ということです。アニメーションとして追求すべきモノを追求した結果、たまたま産業としても世界に羽ばたくのは結構なこと。しかし、世界に羽ばたかせるために何かをしようと言う話は、本末転倒である。だから政策にすることが無いというわけではもちろんありませんが、肝に銘じないといけない台詞と思いました。
彼は、『折り返し点』に所収されている別の論考で、こんなことを言っています。「いい絵本をアニメーションにしてしまって良いのかという問題意識」が常にあると。絵本には、自分でめくったり、好きなページだけじっと観ていられるような、その子だけの時間がある。ビデオは、単なる一方的な刺激に過ぎない。こどもの周りを、一方的な刺激を与えるだけのメディアだけにしてしまってはいけない。せっかくの絵本を、一方的な刺激だけで終わらせてはいけないと。
だからといってアニメーションが否定されるわけではありません。最後は、絵本に立ち返ってくるような映画作り、つまり、映画を見たからこそ、また絵本を読みたくなる、そういう映画作りをすればよいということになるのですが、いずれにせよ、彼の次の台詞も印象的でした。「大人の一年間に当たるこどもの5分間がある」。確かにそうだなと。
こうしたリアリティに対する強い拘りのあたりに、本人自らマンガを志してこの世界に入りながら、今やマンガのフォーマットから脱しようとしている宮崎さんの思いの拠り所があるのかなと、感じました。
リアリティと表現の往復関係にこだわる。案外、日本の文学って、こういう形で現代にもきちんと継承されていると見るべきなのかもしれませんね。
さて、もう一つの点は、このネットとリアリティ、という点です。節を改めてまとめてみます。
何やらいきなりで恐縮ですが、自分は、IT政策分野に10年以上、関わらせていただいています。こうした立場からは、やはり、秋葉原の通り魔事件は、ITが深く絡んだ事件として、なかなか頭から抜けません。
最近のケースでは、電車男も、ネット的リアリティとリアルの奇妙な融合だったんだと思いますが、こちらは、ネットにあるリアリティの欠如した世界が、ある種の微笑ましいプリミティブさを持っていた。それがそのままリアルに出てきて、ネット空間上の仲間と行ったり来たりするところに、面白さがあったんだと思います。
しかし、今度の事件の背景には、「自分が大人になったときに、自分の親の時代以上に、「日本」や「生活」が良くなるという見通しがない」という、若者達のリアリティへの絶望感のようなものがある。そういうネガティブなリアリティの方がリードする形で、ネットとリアルが重なり合った事件のような気がします。彼にとって、携帯でつながるネット上の空間は、ある種リアルの空間以上にリアリティがあったんじゃないかと思う。リアルの世界に絶望的な感覚がある、現実を直視するに耐えない環境があるからこそ、仮想空間とリアルの世界が混同してしまう。
もちろん、マンガの暴力表現をはじめ、ネットの提供するコンテンツの内容自体にも問題はあるとは思います。が、むしろ深刻なのは、それに対抗するだけの健全なリアリティの方が弱っている。リアルの感覚の方が弱ってしまっているから、ネットやマンガの側のちょっとしたきつい表現や動向に、本人のアイデンティティがグラグラさせられてしまう。弱っているリアリティの方が本質的な問題なんだろうな、と。
宮崎アニメにも、戦闘シーンや残忍なシーンはたくさんあります。しかし、『折り返し点』の中でも、本人も触れていますが、彼は、「それを含めて見て欲しい」と、積極的に主張しています。絵本と映画のフィードバックという話を紹介しましたが、まさに、リアリティとの間を往復を促すようなモノであって、はじめて、良い作品として成立する。リアリティの方が弱っているからといって、それを避けて通ろうとしても、表現すべき作品は作れない。リアルの世界から目を背けることが表現のなすべき役割ではない。
例えば、彼は、アニメ作りの一方で、真剣に、スタジオジブリの中の保育園作りに取り組んでいます。それは、職員の福利厚生ということだけではなくて、まさにこどもに、どろんこ遊びから色々なリアリティを経験させる場が必要という彼の問題意識そのものから、保育園作りに取り組んでいる。「折り返し点」の他の論考の中でも、小学校時代も、九九を早く教えることに腐心しているヒマがあったら、10歳前後までは、もっと色々な人間や自然のリアリティを経験させろと、主張しています。「ゆとり教育」ということとも、「学力の低下」ということとも、直接的には関係ないのかもしれませんが、とても大切なことのような気がします。
* * *
自分は、以前、このブログのエントリで、デジタルとアナログということを巡って、プロダクトデザイナーの深澤さんが仰られていた、次のような引用をさせていただいたことがあります。
繊維はまだ、レベルが低い時代のデジタルようなものだと思うんです。非常に画像の悪いコンピューターディスプレイみたいなもので、そのレベルが繊細になればなるほどあらゆる表現が出来るようになる。どんどん細かくなって細胞レベルにまで到達すればあらゆる形に変化できるという意味で、デジタルなんです。デジタルなので自由に加工できるしプログラミングできるんです。そうなると今まで一定方向にしか変化しなかったものがいわゆるオーガニック・レベルで形を可変できる可能性がある。
コンテンツも、他産業がデジタル化・ネットワーク化に苦しんでいるのと、全く同じように、今後、デジタルということと、更に厳しく向き合っていることが必要になると思います。大切なのは、アナログが基本ということで、コンテンツだけが何か特別にデジタルやネットワークを語らなくてはいけないわけではない。まずは、僕としてはそちらを強調したい。
しかし、その次のステップとして考えたときに、宮崎さんがこだわっておられるような、リアリティの一つの鏡として、「映画」であること、「描く」ということと、デジタルとは、当然ですが、何も反するモノではない。むしろ、デジタル化による細分化とネットワーク化による再統合とで、新たな表現の可能性があって良いはず。
ただ、気をつけないといけないのは、マンガのフォーマットの持つ咀嚼力の大きさと、モザイク状に分解しやすい性格とが、デジタルという「ものごとを細分化する」という特性と非常に相性がよい。マンガという我々の世代の「共通分母」が、ネットという世界とも非常に相性がよい。だからこそ、この「共通分母」の共振のようなことが、我が国では起きやすいのではないか。
もちろん、そうしたマンガ文化とコンテンツ全体の共振がいい方に働く場合もある。例えば、日本が携帯電話王国という大前提もありますが、こうしたマンガ文化的「共通分母」とデジタル・ネットワークの相性の良さが、次のような日本独自の市場を花開かせたのではないかという気がします。
でも、だからこそ、次の創作が現れない。コンテンツとしての先行きが見えてしまう、そういう批判もあるんだろうと思います。宮崎駿監督のアニメの未来に対する心配も、こういうところから来ているのではないでしょうか。
デジタルは、確かに、いろいろなものを微少単位にまで細分化する。次には、そのつなぎ直しが来るはずなのですが、ややもすれば、微少単位にまで分解されたモノのつなぎ直し、統合が、柔なリアリティにしか裏打ちされず、浅薄な結果しか残さないこともあるだろうと思います。だから、デジタルの色彩を強めれば強めるほど、希薄なリアリティしか表現できなくなる。そういう批判もありえるでしょう。
でも、それは、デジタルを否定すべきということではない。大事なのは、デジタルで編集の自由度が増したパーツの再統合を、どう進めていくか。深澤さんも言われているように、一定方向にしか変化しなかったモノが、オーガニックレベルで可変できる可能性がある。
だからこそ、そのためにこそ、デジタルやネットに携わる人たち一人一人に、もっともっと強い、リアリティへのコミットが必要。ある強烈なリアリティに裏打ちされればされるほど、デジタルで細分化された分子達の新たな編集の方向性も見えてくる。そうすれば、アニメーションにも、時代を超えた新たな表現が出てくるはず。
大切なことは、ネットやデジタルそのものでも、ネット空間を無理矢理リアル化することでもなく、ネットワーク化・デジタル化といった手段をリアルの暮らしやビジネスの中で如何に巧く使いこなすか。法制度も含めて、ネットの世界だけを特殊視せず、起きていることの一つ一つを、他のリアルの問題と同様に受け止めることのできるデジタルリテラシーの高さと、デジタルで細分化された現象を再度、自分の中で消化し、逆に暮らしやビジネスの中で活用していくだけの一人一人の人生のリアリティ・葛藤の強化が今こそ必要なのではないでしょうか。デジタルリテラシーと強烈な人生のリアリティ、その両方を常に意識しながら育んでいかなければならない。結局、この「折り返し点」を読んでいていて一番強く感じたのは、僕の場合、そのことでした。
この他にも、この「折り返し点」、色々な論点を含んでいます。全部紹介できないのは残念ですが、なかなか楽しかったです。様々な論考や対談を集めたものですから、冗長な部分もありますが、お時間のある方には、お薦めです。
* * *
んなことを書いていたら、たまたま、昨日、「めぞん一刻」をテレビ化した番組を見てしまいました。なんか電車男とはまた違った奇妙な違和感を感じました。高橋留美子さんって凄い人だと思うんですけど、テレビの方は、何とも言えない感じです。俳優さんの方の問題かもしれませんが(そういえば、こちらも伊藤美咲さんでしたね。)、なんて言うのかなあ、表現のフォーマットって、やっぱり難しいですね。
追伸:
昨日、 原稿をアップした時点で、アニメ産業の売上高の数字に誤記がありました。250億円ではなく、約2500億円(正確には、2,396億円(対前年比7.4%減))です。お詫びして訂正いたします。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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