ここまで、首都圏から80キロメートル圏内にあるいくつかの近郊都市を研究対象にしてフィールドワークを中心に研究してきたが、2020年にその中の一つである茨城県利根町から依頼があり、前述の授業報告会を同地で地域住民に対して開催することとなった。
前述のように、利根町は平成29年(2017年)4月1日に過疎指定を受けており、茨城県南部地域では唯一の過疎自治体である。観光地ではなく、また経済都市でもなく、平坦な農村であり昔ながらの風情のある町である。いわゆる地方創生政策による町おこしも試みられているが、地域のコアとなるようなものを中々見つけられずにいるという印象が強い。実際に地域住民からは、しばしば「何も無い町」といったような表現を耳にすることもあった。
確かに、都市部と地方の中間にあるような近郊都市地域は、特別な農産物や観光資源、史跡、祭事など、一般にイメージするような、地方の訴求要素が多いわけではない。利根町で言えば、元々稲作を中心とした長閑な農村地帯であり、当地に長く居住する住民が多い。さらに東京圏への通勤圏内でもあるため、昭和40年(1965年)代以降からニュータウン開発がなされ、転入してきた住民も多い。決して「ハレ」の町ではなく、日常を過ごすための「ケ」の町と言った性格が強い地域である。
前述のように同町には、戦後すぐから2020年まで行商を続けて来た、御年91歳になる方が在住している。筆者は同町からの紹介で、学生と共に同氏にインタビューする機会を得た。同氏は91歳を迎えた時点でも、現役の最高齢の行商人として、ほぼ毎日銀座まで行商に出かけていたが、2020年の新型コロナウィルス感染症の影響により、実質的に廃業したとのことである。成田線沿線の行商人は、最盛期には千人以上ほども沿線にいたと言われているが、同氏の廃業で全て消滅してしまったということになる。
インタビューによれば同氏は終戦直後から、姑が生業にしていた行商を手伝い、近隣の農家で収穫する米を専門に、当時の食糧難に襲われていた東京に販売に行くという仕事をしていた。端的に言えば、いわゆる闇米売りであり、当時の食管制度の元では違法行為をしていたわけである。実際同氏のインタビューの中で、「上野駅でお巡りさんが荷物を検査して取って行っちゃう」、「没収されると姑に怒られた」など、生々しい当時の様子が語られた。戦後社会に疎い学生達には詳細には理解できなかったようであるが、これは紛れもない市民の側から見た戦後史であり、学術的にも大変に貴重な証言である。同氏は最後の現役行商人、名物おばあちゃんとして、町内外に広く知られていた。しかしこうしたオーラルヒストリーの形で記録に残すことを前提としたインタビューは今までされたことがないようで、同氏の戦後の活動が持つ社会的な意義などは、必ずしも認識されていないのではないかと思わされた。
利根町は首都圏の近郊に位置するが、戦時中の空襲などとは無縁であったため、古い住民が多い。同氏のように、農業や行商人として未曽有の食糧危機の時代に首都圏を支えた人の他にも、ニュータウン開発に伴って高度成長期に「終の棲家」として同地に戸建てを購入した、当時の首都圏在勤の元ホワイトカラーなど、一次産業以外にも様々な職種に就いていた高齢者が多く居住している。そして彼らのほとんどが、自らの人生とシンクロさせて、地域の記憶を持っている。客観的に見て、同地の資産は都市部との関係性の高い、多くの高齢者が在住している点にあると言えるだろう。筆者は、それらの方々数名にも、同様にインタビューをする機会を得たが、ほぼ全員が語るべきたくさんの記憶を持っていること、そしてそれらのいずれもが地域のみならず、日本の戦後社会における市民の貴重な記録になっていることに、改めて感嘆した。
こうした高齢者の語る自らの人生は、恐らくは限られた家族が断片的に聞いているものが多いだろうし、いずれ高齢者の逝去によって完全にこの世界から消えてしまう。これは、かつての国連アナン総長の「一人の高齢者が死ぬと一つの図書館がなくなる」という言葉を思い起こさせる。利根町の大きな地域資源は、利根町の移り変わりを目撃、体験している住民の存在である。そしてそれは、利根町だけのことではないとも推定できるのである。
こうした背景から利根町に居住する高齢者に対して、自分の戦後の記憶を語ってもらうボランティアを依頼し、彼らの記憶や記録を収集する試みをスタートした。それらを元に、住民、市民の目線から見た利根町の姿をアーカイブズ化し、デジタル技術を利用して、蓄積、公開することで、高齢者の個人的な記憶や記録を、地域の共有資産として社会価値を与えていく試みである。この一連の研究プロジェクトを「利根町思い出ライブラリー」と名付け、同町まち未来創造課との連携事業として、2023年4月より開始した。以下にその詳細等を述べる。
・概要と目的
本研究プロジェクトの中心となる内容は、高齢者にボランティアを依頼し、自らの人生に纏わる記憶を語ってもらい、それらを記録し収集することにある。それらを時代や地域社会の出来事などと併せて俯瞰、整理することで、地域のデジタル・アーカイブズを構築し、町の共有資産として、利活用を目指すことを内容とする。
本研究プロジェクトの目的としては、地方創生の促進に向けて、住民参加による地域アーカイブズの活用方法を具体的に検討し、その有効性を実証することにある。旧来、地方自治体や地域団体などが保有する歴史的な資料や文化財を収集・整理し、デジタル化してアーカイブ化することはいくつかの地域でされているが、地域住民の記憶や記録を収集して共有するといった試みは、大規模には実施されてはいない。住民アーカイブズを利用することで、地域住民が自身の地域に対する理解を深め、地域に愛着を持つことが期待される。
その背景として、地方創生の重要性が高まる中で、地域の文化や歴史を活用した地域づくりが求められている。しかし、地域の歴史や文化を後世に伝えることができる施設や手段が限られている場合が多い。まさに利根町でも事情は同じであり、住民アーカイブズを活用することで、地域の歴史や文化を保存・伝承することができると同時に、地域住民の参画や地域の魅力向上にもつながると考えられる。
本研究プロジェクトにより、地方自治体や地域団体が保有する資料や文化財の価値を再認識することができ、それらの活用方法についての知見が広がることが期待される。特に利根町では、自治体が保有する地域広報誌の活用を想定しており、こうした史料や文化財を活用した地域づくりが、地方創生の新たな手法として注目されるであろう。
利根町を研究対象とする独自性としては、以下のような点が挙げられる。
・具体的手法と記録資源
本研究プロジェクトでは、過去の知見をもとに、高齢者にインタビューをし、オーラルヒストリーを抽出するために、以下の2つの手法を用いた。
・利根町の記録資源と公開イメージ
利根町の記録資源には、現状では以下の3点が存在する。
これら3種類の地域資源に対して、本研究プロジェクトでは、それぞれ「広報誌が目撃した利根町」、「あの人の記憶写真館」、「利根町発掘写真館」と題した3つのサブプロジェクトを実施している。それらの成果を統合し、町民参加型の「利根町の地域アーカイブズ(利根町思い出ライブラリ)を制作構築している。以下、「利根町思い出ライブラリープロジェクト構成」の詳細について述べる。
世間的に言えば、老人の話は忌避されている感があり、親族など身内でも、殆ど耳を傾けないような印象がある。また高齢者が書いた自分史などは、市民から見た貴重な記録ではあるが、図書館にも余り置かれてはなく、辛らつに批判する意見も見掛けることも多い。しかし、どの町で聴いた高齢者の話もとても興味深く、机上でしかわからなかった戦後史、市民の生活や思いが、少しずつ繋がって行った。戦後社会は、まさに普通の人々が作って行ったものだからである。
元々利根町では、PRコンテンツ自体余り多くないので、こうしたシニアの記録は、次の時代に継承すべき資産としても貴重であり、移住などのプロモーションのためのコンテンツとしても有効だと考えている。本研究プロジェクトは、2023年度にスタートしたばかりである。利根町が継続する限り、利根町の記録は蓄積していくため、地域のアーカイブズには、完成形は存在しない。未来がある限り、地域の資産は作られて行くのである。
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